まぶログ

脱サラ、移住、起業、地域活性化、まぶログのリアルな体験記

2019年振り返り①「補助金が下りない!?」

ちょうど一年前のことです。

ある補助金を頂く申請をしました。

それまで補助金って使ったことありませんでした。

一度バルのオープンの時に
使わせて頂こうとしましたが
募集開始期間を待つと半年以上先になるとのこと。

「スピードは最大の付加価値」


とっととオープンして半年間トライ&エラーをした方が
後々補助金以上の価値を生み出す!と思い
申請しませんでした。

前職コンサル時代へのアンチテーゼから
補助金を使わない美学」
みたいなものが自分の中にあって、

なんとなく敬遠していたことも一因です。

ただ地魚BANKは
漁師はもちろん行政や漁協、大学、民間、地魚に係るすべてを
巻き込む初めての試み。

本当に新しい地魚サービスを産み出せるのか、
そもそもお金を集めることに法的に問題無いのか等
全くの手探りの中で、補助金申請の課程で
事業計画を整理出来たのは本当に助かりました。


今回はじっくり進めた分
タイミングもバッチリあったので
有難く使わせて頂くことに。

実際の申請作業はとても骨が折れるものでしたが
お陰様で審査は通過したので、安心して事業を開始し
いざお金を頂こうとすると・・・

「すいません予算が無くなりました・・・」


な、なーにー!?

担当者さんとは密に連絡を取っていましたし
期限も確認していた中でのことなので
正に寝耳に水。


細かい経緯は省きますが(結局は自分が悪い)、
もう委託は開始してるし、

「こんなの補助金詐欺じゃないか!!」

と一瞬憤りましたが…

 

逆に、チャンスだなと。

 

補助金なんかアテにしないでとっと構想通り、地魚BANKで資金集めろ!」


ということなのだろうと。
ようやく覚悟が決まりました。


すると大変有難いことに初回限定で募集させて頂いた会員様から
補助金でもらえるはずだった金額以上の資金が集まりました。


こんなに有難いことはございません。

そんなドタバタで、手探りで、
ある意味身勝手な論理展開で突き進んだ昨年末。

ハチャメチャな勢いのまま
今年の年頭所感では
スタッフにこう宣言しました。


株式会社いとしのいとしまは、飲食事業という枠を取り払い、
地魚に関する総合信用事業を行って参ります。

具体的に言うと
昨年末より取り組んでおります「地魚BANK」を展開し、
飲食だけに限らない地魚サービスを創出することを生業として参ります。

「地域で100年後も喜ばれる商売」として
「旨い魚をこれからもずっと」食べられる社会の実現のため
「地魚の価値を最大化」することを目的に
「価値を伝え、共感して下さる会員≒株主から資金を集める」ための仕組みが地魚BANKであり
「集めた資金で地魚イベントの開催や加工品、空間創出、飲食コンサルティング」を行い
「ときには地魚共同事業者に出資することで推進力」となり
「会員様を絶えず喜ばしながら囲い込んで離さない」

という仕事をして参ります。

 

 

またこんなことも伝えていました。

 

 

今回集まった資金には、私達に対する、地魚の未来に対する、
熱い想いがこめられています。
今まで皆さんと頑張ってきた弊社の商売に対する信用が集めたとても価値のあるお金。
今年はそんなお金がたくさん集まって参ります。
堂々と臆することなく意気に感じて受け取り、
事業を進め利益を出し給料として頂きましょう。

 

 

この時点で、国や県の事業を受けることも、コンサル業務(福ふくの里様、ブライトリング様、オズランド様)を頂くことも、クラウドファンディングを実施し成功することも、全く予想していませんでした。


しかし一方でスタッフとは


資金の少なきを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし。
商売は世の為人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり。

母校修猷館高校OB中村天風氏の言葉を共有していました。

そんな風にして始まった2019年、地魚BANK元年。

最初の「仕事」は、全く想定外な内容。
しかしこの仕事からまさかあんな展開になろうとは・・・

(つづく)

※写真は昨晩駅前のバルにて
「漁師のおはこ」「地エビの唐揚げ」「チャコリ」と共に。
一年前もこの場所でたくさんの勇気を頂きました。

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糸島ビアファーム2019の裏側

9/23(月)朝、現場に着いてみて愕然とした。

遠目から見ても分かる。

台風の影響で
松末稲荷の周りの木が折れ
社に倒れかかっている。

生々しい木の幹の色は

「今日はそれどころじゃない・・・」

と想わせるには十分な鮮やかさだった。

「大変なことになっとるね」

治久に言うと

「いやいや逆に燃えるやろ!後で治すけん気にせんといて!」

糸島ビアファームを主催する百笑屋さんは
松末稲荷を氏神様とし、親族一同で代々守ってきた。

古来より日本では自然災害からは逃れられない。

きっと松崎家のご先祖様もたくさんのピンチを
そうやって力強く切り抜けてこられたんじゃないか。

私が言うのは恐れ多いことなのだけど
だからこそ今があるんだと想った。

当初想定していた会場、入り口は
泥濘んでしまいとても歩ける状態では無い。

それでも

「今からユンボで表層の泥をはいで、稲ワラ敷き詰めます!」

そのとき8時。開場まで2時間。

既に決断した眼に、異論を挟む余地は無い。


何とか設営も間に合い
枝豆の提供
サックス演奏、ライブペインティング
え~だ豆号、イノシシの丸焼き
ハンモック、餅つき
予定していたコンテンツも
ほぼ滞りなく終わった。

雨の中でも楽しんで頂けたのは
佐藤先生のアイディアによるところが大きい。

何より今回は選択につぐ選択、決断につぐ決断。

「ビアファーム終了~!」

のかけ声の後、
佐藤先生と治久と私で握手した。

過去9回ではそんなことしなかったと想う。
重圧を乗り越えたからこそ自然に出た握手。


とは言え至らないところも多かったと想う。

一時的に席が足りなかったり
枝豆湯がきでお待たせしてしまったり
開場内の案内も十分には出来なかった。

イベントでも商売でも

「如何に来てもらうか」よりも
「どんな気持ちで帰ってもらうか」

「100人が喜んで帰ってくれたこと」よりも
「たった1人でも顔を曇らせて帰っていないか」に

どれだけ眼を向けられるかで
その後の成長度合いが変わると想う。

「来年はもう一個井戸を掘ります!」

初の自宅開催、想定外の水の消費に
井戸のポンプの水圧が下がり、
トイレなどの利用に支障をきたした。

後者の想いが強いからこそ出た言葉だった。

打上げで治久と話した内容は
以前私が書いたfacebook記事↓について。

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【びしょ濡れのラインマンが教えてくれた商売とビジネスの違い】

朝からスゴイ嵐でしたね…
姫島のフェリーは欠航(スタッフが来られず)
野北の方では停電(スタッフの朝ご飯が炊けず)
案の定、魚の入荷も少なかったので
今日はお客様も少ないだろうなぁと
仕込みをいつもより少なくしていたら…

案の定、たくさんお越し頂きました笑
こういう時の私の予想は大体外れます。

とは言えこんな天気の中、
本当に有難いことでございます。

ちょうど忙しい時間帯、雨カッパを着たびしょ濡れの
Q電のラインマン(広義に送電線のメンテナンスに従事する方々)と
思しき方々がご来店下さいました。

「停電の補修ですか?」とお声かけしたところ
「そうなんです…」とお疲れのご様子。

雨に濡れて冷え切ったお身体、心ばかりのサービスさせて頂き

「実は当店のスタッフの家が停電になって困っていたのですが、お陰様で助かりました。有難うございました」と申し上げると

「それは申し訳ございませんでした。。大変ご迷惑をおかけしました…」
と逆に謝られてしまいました。

こちらは感謝の気持ちをお伝えしたかったのに、
逆に気を使わせてしまいました。
未だ未だでございます。

でもそれだけ誇りと責任感を持って
ライフラインを守って下さっていることは
本当に有難いことだと思いました。

アフリカの某国に1ヶ月ほど居たことがありましたが
停電なんて日常茶飯事。
電気があるときの方が少なかったように思います。

便利過ぎて当たり前になっていることが
実は当たり前じゃなくて、裏で頑張って踏ん張って
働いてくれている人のお陰で成り立っていることを
忘れてはいけない。

そんなことを考えていたら
ふとある方の記事を思い出しました。
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商売や商人という言葉が
日本ではめっきり使われなくなりました。
その代り、ビジネスやビジネスパーソンという言葉が
やたらと使われている気がします。
ビジネスという言葉が使われ出したときから、
売り手と買い手が完全に分けられてしまったように感じませんか?
簡単、すぐに、効率的にというビジネスは、
お客さんから感謝とか思いやりという心を
少しずつ奪っているのではなかろうか?
と僕は思うのです。

売り手=買い手

これが、商売の基本的な考え方です。

売り手であっても、買い手であっても、同じ人間です。
いつその立場が逆転するかもわからない不思議な縁の中で
僕らは暮らしています。

そうした中、最も大切だと思えるのが、売り手の時にいる苦労や大変さを、
今度は買い手になったときに思いやりとして返してあげることだと思います。
ネットで注文すれば、即日に来るというのは、確かに便利で有難いものです。
しかし、その過程にある大変さを想像できなければ、欠落した人間になってしまうと思うんですよ。
便利で助かったから、便利なのは当然という意識になってしまえば、ものすごく殺伐とした世の中になってしまいますよね?
時が経過するほどに便利の有難味は忘れられ、当たり前になってしまいます。
効率的に顔の見えない商売をやれば、結果、このような社会になってしまうのではないでしょうか?

ビジネスとは、かっこいいものでもなんでもなく、こうしたリスクも孕むものですよね。

一生懸命に働くほどに、裏側にある大変さを理解できるようになることが、商人道を歩むことだと僕は思います。
だから、僕はビジネスではなく、非効率な商人道を歩み、人格を磨いていきたいと考えています。
**************************
飲食店を経営する中で
ずっとモヤモヤしていたことが
クリアになりました。
私もスタッフと一緒に
非効率な商人道を歩みたい。

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今回の台風はここ10数年で一番の被害だったかもしれない。

ビアファームに参加する仲間の農家も大きな被害を受けた。

本当はそれどころじゃなかった。

それでもあの場に居た「売り手」と「買い手」双方が
「私」に向き合いながらも「公」を想ったからこそ
素晴らしい時間を共有出来たのではないか。


「農家って大変なんだ漁師って大変なんだ」


そんな野暮なことを言いたい訳ではない。

だけど私には何かを伝える責任があるように想えてならない。

その何かは、魂なのか、生き様なのか、考え方なのか、
実は未だ良く分かっていない。

「撮らんでよか!」

夕方仕事を終え「枝豆売るトラマン」で枝豆を買い
田んぼを通り過ぎると、治磨さんが稲刈りをされていた。

週末にはまた雨の予報。
これから天気の良い間に一気に刈り取るのだろうか。

志摩の海鮮丼屋のお米はこんな風にして出来ている。

私たちはそれを踏まえた上で私たちの商売と向き合う。

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ヤソゼリと半夏生

8年ぶりに湯布院へ。
(仕事兼プライベート)

宿泊先は12年前にも宿泊した「草庵秋桜」。

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地元の食材を中心とした食事が有名なお宿。

相変わらずどの料理も美味しく大満足でした。

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2年前にJR九州ななつ星」と同じデザイナーが
リニューアルしたお部屋はラグジュアリーな中に
どこかホッとするような落ち着き。

なのですが…

娘たちが暴れて落ち着けない!

そんな子連れでも安心できるよう
キッズルームもあってとっても有難かったです。

由布岳と豊後牛の絵は家にも飾りたいくらい
パッションを感じました。

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それにしても久々の湯布院、
驚いたのはどこを歩いても海外の方で一杯!

地元の方に聞くと
ここ5年で急激に増えたとのこと。

ちなみに15年前、
私が大学生のときに書いた卒論のテーマは

「湯布院における農業を活かしたまちづくり」

卒論発表会のときに教授陣から

「君の卒論は一体どこが新しい内容なのかね?」

と総ツッコミを受けたくらい
私の研究に目新しさはほとんど無く
当時でも研究し尽くされていた
湯布院における農業を活かしたまちづくり。

50年以上前、地元の有志が
別府のような大規模施設型の観光地とは違った
「湯布院らしい」発展の在り方、目指すべき姿を
追い求めてドイツまで視察に行ったそうです。

そこで見た風景、景色、考え方に衝撃を受け
神社仏閣、名所旧跡、歓楽街を売りとする
従来の観光地ではなく
由布岳の草原や、昔ながらの農村風景、
地元の食材を中心とした「生活型観光地」
としての発展を目指すようになった。

具体的な活動としては

由布岳付近の草原を守るために始めたオーナー制度
「牛一頭牧場運動」や「牛喰い絶叫大会」

・のどかな農村風景を産み出す
田んぼ作業を補助する「ワラこづみ条例」

・地元食材を使ったレシピ開発等を行う
「ゆふいん料理研究会」の発足

等など、当時としては
かなり先進的な取り組みの数々。

そんな湯布院の「今」

たった一泊二日で批評するつもりも無いし
それほどの知見もありませんが
確実に言えることは、街は絶えず変化しているということ。

それも物凄いスピードで。

今回私達が湯布院を訪れたのは7月2日。

その日は夏至から数えて11日目の暦「半夏生
と呼ばれているそうです。

田んぼの作業が一区切りする時季。

この日関西ではタコを食べる風習があると
ある地魚仲間がFBに上げていたことを思い出しました。

宿に到着し
金鱗湖に向かう小川沿いを歩いていると
地元の方が何かを刈り取っていたました。

娘たちの「こんにちは~」をきっかけに
色んな話をして下さいました。

私が

「実は卒論で湯布院について研究させて頂いて、あのとき○○さんや○○さんにお世話になって…」

「あぁ○○さんは大学の教授になったよ」
「○○さんが働いてた宿の女将さんは知り合いでね…」

とリアルな「湯布院の今」についてお話下さいました。

「ところでどこから来たんかね?」

糸島からと伝えると

「そうかいあそこは良いとこやAZの前に新しく駅も出来たし」

よ、良くご存じですね…

「何の植物を刈っていたんですか?」

一つはヤソゼリ。

湯布院にはキリシタン墓地があるように
古くからヤソ(キリシタン)との関わりがある地域。

当時ヤソが持ってきたセリの仲間を
ヤソゼリと呼び、一般的にそれはクレソンのこと。

もう一つは小川沿いに自生していた半夏生

暦に合わせて刈り取りに来ていたことに
別れたあとに気づきました。


「せっかくだから一番白が綺麗なのをあげよう」


その土地の歴史、文化、お心遣い
今回の旅の一番のお土産として
家に持ち帰って生けてます。

*****

***

くだんの卒論発表会での
教授陣の指摘に対する私の回答は

「湯布院について何も知らなかった私が研究したことが新しいんです!」

苦し紛れの屁理屈に
聞いていた教授は呆れるばかり。

あれから15年が経ち、地魚ツーリズム協議会を立ち上げ
何かに導かれるように湯布院を訪れた半夏生

ちなみに半夏生花言葉は「内なる情熱」

あのときに戻れるならこう言いたい。

「今回の卒論はこれから新しいテーマに向かうためのあくまで序章なんです!」

糸島における地魚(一次産業)を活かしたまちづくり。

まずは地道に各論から。

ゴーシ魂

夏目漱石の「こころ」を思い出すとイメージしやすかった。

こころの中には魂と情感が含まれている。

※詳しくは「魂の燃焼へ」をご覧下さい↓

www.youtube.com



魂とは人類共有の「考え方」みたいなもので
「人は殺してはいけませんよ」とか「弱いものはいじめてはいけません」
といった人類の叡智のようなもの。

 日本で言えば「お天道様がみているよ」とか「忠義を重んじる武士道」
とかが日本社会全体が大切にしてきた共有の魂だろう。

 

一方で情感は人間一人一人が持つ固有のもので
満月を見てある人は「キレイ」だと思うかもしれないし
「はかない」と悲しくなるかもしれない。

 

「こころ」の中でお嬢さんに恋をした「K」は
「精神的に向上しないものは馬鹿だ」という魂を
自らの純粋無垢な「情感」が故に、受け入れ、
それを自分の中で燃焼させた結果、
自殺という道を選んでしまったのだろう。

 

他の人の情感なら
「恋によって精神的に向上できる」と思うかもしれないし
そもそも「別に気楽に生きていけば良いじゃん」とその魂(≒考え方)に
感応すらしないかもしれない。


つまり、素晴らしい考え方に出会う機会は
誰にでもあるんだけど、それを受け入れるかどうかは
個人の情感次第なので、そもそも素晴らしいとも感じないかもしれない。

だけど間違いないことは、
自分という人間のこころは自分一人のものではなく、
家族はもちろん今まで出会った仲間や恩師、先人の生き様が
あって初めて出来上がったものだということだ。


僕という人間のこころは

「誰もやっていないことに挑戦する」
「目の前の人を全力で喜ばす」

という大学の研究室に漂っていた「魂」を
「それ、なんかワクワクする」と
僕の情感が受け入れたことから出来上がってきた。

それは古くは母校の修猷館に漂っていた修猷魂しかり
西郷さんや頭山満中村天風弘法大師空海の本を読むたびに
「武士道」や「世のため人のため」「宇宙の分け御霊」
といった魂を、僕の情感は受け止めようとする。


一方で

「楽して儲けよう」「メンドクサイことして働きたくない」
「今が楽しければハッピー」
「金さえあれば、結果さえ出せば、社会的に認知されていれば、昔の固定概念にとらわれない自由な発想ならば、SNSで汚い言葉を使って罵り合っても構わない」

なんて考え方は、僕の情感は一切受け付けない。

それは僕固有のものだから、他の誰がどうかとか関係ない。

先人が大切にしてきた魂を僕の情感が受け止め
燃やすからこと、宇宙で一つだけの固有なこころとなり価値が出るのだと思う。

地魚BANKで実現したい根源的な想いは
何も目新しいことではない。

糸島の漁師が長年大切にしてきた魂そのものだからだ。

だけどその魂を僕や会員様の情感が受け止め、
みんなが燃焼させることが出来た瞬間に
後世にも残るような素晴らしい価値が生まれるのだと思う。

誰しもが受け入れてくれるとは思っていません。

だけど少しでも皆さんの情感が受け止めてくれるのなら
力を貸して頂けると、こんなに嬉しいことはございません。

 https://readyfor.jp/projects/zizakana-bank

第1回地魚博覧会

お陰様で無事に終了致しました。

ご参加いただいた皆様本当に有難うございました。

行き届か無いところもたくさんあったかと思いますが
地魚を通して皆様とお会いでき同じ時間を過ごせたことを

スタッフ一同大変嬉しく思います。

ただ我々としましては

「ようやく博覧会が終わった」

というよりは

「博覧会からいよいよ始まった」

というのが実感でございます。

今回の博覧会では

地元の漁師、漁協職員、県、加工業者、飲食業者
たくさんの地魚に携わる仲間がお忙しい中、
二つ返事でご参加下さいました。

「地魚トーーク」では登壇者の皆様、
ぶっつけ本番でドキドキさせてしまいました…

ただいつも私が皆さんと話している内容をそのまま
お伝えできればそれだけで価値があると思い、
実際に参加者の皆さん大絶賛の内容でした。

満員御礼、連日大繁盛の牡蠣小屋を抜け出し

「車じゃ間に合わんと思ったけん」

とバイクで駆け付けた結果
お酒が飲めなかった一豊さん。
地元漁師のリアルなお話は
それだけで参加費分の価値があるように思いました。

「このTシャツで良かったかいな?」

糸島の宝、地魚エンターテイナーの鹿毛さんは
いつも私達を笑わせて和ませて下さいます。

そして
お姿が見えなくなったと思ったら
いつの間にか裏方で料理の盛り付けまで
お手伝い下さっていた馬場社長…

いつも格好良すぎます、、

皆様にはこの場を借りて御礼申し上げます。

「皆さんと仕事がご一緒出来る自分でありたい」

というのが私の一番のモチベーションです。

心から尊敬できる最高の仲間がいることに
改めて気づかされました。


博覧会の内容については
改善すべき点もございますが
間違いなく昨晩

「日本で一番地魚で熱い場所」

は糸島前原の古材の森でした。

「次はいつ、どこでやるんですか?」
「参加費はもっと高くて良い!」
「漁師さんの話が聞けるなんて貴重な経験でした」
「糸島に移住して良かったです」
「地魚BANKようやく仕組みが分かった」
「会員集めるなら集めるで先に言っといてよ」
「振込先を教えて下さい!」

いよいよ地魚BANKが公に動き始めます。

3月中に会員募集の仕組みをHPの作成と合わせてお知らせします。

4月中にクラウドファンディングを開始します。

並行して新しい地魚サービスも生み出して参ります。

最後に。
もう少しだけお付き合いください。

博覧会実行委員会のお二人へ。

「ずっと身内に声をかけるのは後回しにしていたのですが、
博覧会が始まる前に両親を招いても良いですか?」

今回の博覧会のメインは地魚イラストレーター江崎さんの初個展。

ご自分の初個展なのに最後の最後まで公に徹して下さいました。

江崎さんの絵には魂が宿っています。

「漁師さんに見られても恥ずかしくない絵を書きたい」

これからも引き続き宜しくお願いします。

そして。
古材の森ディレクターの有田さん。

今回の博覧会を思いついたのは昨年末。

年末年始を挟んでいたので
実質一ヶ月半くらいで企画を練り上げ準備しました。

お互い本業の合間を縫いながら
むしろこれが本業といわんばかりに
毎日連絡を取り合い打合せを重ねて参りました。

少しだけ少しだけ私が不安になって
有田さんに弱音をはいたとき

「馬淵さん、大丈夫ですよ。僕がいますから」

と言って下さったときは痺れました。
自分もかくありたい。

博覧会の閉会の言葉で
有田さんがお話下さった内容が
すべてを表して下さっています。

「ヨットがマストの帆を広げて前に進むためには、海面下にもそれに耐えるだけのキールの強さがいります。地魚への想いが力強く未来へと向かうためには、その根にある地魚の歴史・伝統から学ぶ必要があると思います」

第2回地魚博覧会、必ずやります。

 

空海は生きている!④地魚BANK骨子

弊社は私馬淵崇の学生時代からの恩師である

九州大学農学部佐藤剛史先生が

糸島の一次産業とりわけ水産業の活性化を

目的として創業した会社です。

 

2011年の創業以来7年間、

糸島の地魚と向き合う日々の中で培われた想い
 

「地域で100年後も喜ばれる商売」

 

を社是とし、私が事業を引き継がせて頂いてから

現在は糸島市内に飲食店を2店舗経営しております。

 

一つは糸島漁協が経営する直売所「JF糸島志摩の四季」内で地魚専門の海鮮丼屋、

もう一つは糸島の主要駅である筑前前原駅前で地魚料理を提供するスペインのバルスタイルの店です。

 

糸島沖で獲れた新鮮な地魚を扱わせて頂く両店は
お陰様でたくさんの常連様に支えて頂いておりますが

時化等で地魚の入荷が無い場合は臨時休業することもあり、

お客様にご迷惑をおかけすることも多々ございます。

 

それでも創業以来7年間、
私達は以下の二つのことを徹底してやって参りました。

 

・糸島産のものしか使わないこと。

・絶対に値下げ交渉をしないこと。


仕入が不安定な上に、仕入れ値は安くしない、

しかしお客様には気軽に楽しんで頂く。
 

そのような中にあって、弊社の今日があるのは、
漁師を中心とした漁業者からの信用のお陰様です。


具体的には、どの漁師が、どんな魚を、どんな漁法で獲り、どのように処理したかといった、市場から流通した魚では見えづらい情報を事細かに知ることが出来ます。


最近では漁師さんの方から「こん魚は間違いなかばい」と教えて下さるので
目利きがあまり必要ありません笑

 

素晴らしい地魚は、素晴らしい物語とともにあることを知って頂きたいです。

 

 一方で、地域の課題として、福岡県唯一のいりこ漁や小型底引き漁等の

零細な漁業が衰退傾向にございます。

吾智網、一本釣り、海士、いずれどの漁も同じような状況になるやもしれません。

 

資源の枯渇、漁業者の高齢化、後継者不足、漁価の低迷は深刻でありますが
「旨い魚をこれからもずっと」食べられる社会を作るためには、
従来とは異なる新しい価値形成方法が求められております。

 

 そこで、弊社が持つ漁業者とのネットワークを活かし、地魚の価値を伝えるツールとして、またその価値に魅力を感じた顧客を管理するために「地魚BANK」というシステムを構築します。


「地魚BANK」では、まず、その漁、その魚が持つ魅力(鮮度、食べ方、旬、漁の難しさ)を、HP・SNS・地魚試食会等で情報発信し、会員を募ります。


価値を感じて会費を払い会員となった方に、会員券を発行します。その会員券で集めた資金を元に、その漁で獲れた魚を味わって頂くことはもちろん、その漁を支援するための活動(イベント開催、加工品開発、マンパワーの提供等)を行います。

 

弊社は既に天然ハマグリで有名な産地を歩く「ブラ加布里」や、
シーズン後に余った牡蠣を使った「牡蠣小屋オイスターソース」の開発(試験段階)、小型底引き網漁を支援するため「二丈ジエビ食堂」として「エビちまき」や「かき揚げ」等の新商品を開発し、各地のイベントに出店するなどの活動をしていることから、これらのサービスを統一し、消費者に分かりやすく伝える必要性がございます。

 

近年「モノからコト」というキーワードが普及しているように、イベント体験サービスや生産、商品開発そのものに参加したいというニーズも現れ始めています。


それはクラウドファンディングに代表されるように、
消費者のお金の支払い方が大きく変わってきていることからも見てとれます。

これまでの事業で培った信用を元に、会員券を発行し、
新たな価値を提供するサービスのための原資とし、
そのサービスが実現した暁には、会員をそのままお客様として
お付き合いさせて頂くことで
従来の飲食業の枠を超えたサービスを提供します。

 
世のため人のために大欲をもって精進して参ります。

 

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空海は生きている!③ 「積極心~変わり続けることを変えない~」

高野山金剛峯寺の門には豊臣家の家紋と神社の三つ巴が入った提灯が掲げられている。

空海は1,200年間洞窟で修行を続けている。

・今も食事を1日2回運んでいて、精進料理だけではなくときにはパスタやコーヒーも。

高野山にはあえて完成させていない場所がある。

・大工が途中で作るのを止めているのは、完成しないことで永遠に続くことを願ってのもの。

高野山はお寺でありながら神棚、鳥居があり、八百万の神を大切にしている。

 

これらの「高野山トリビア」は、実に示唆に富んでいるように思う。

 

研修旅行初日の夜、現役生との研修会・対話は
生徒が自主的に企画したもので大きくは2部構成。

 

第1部は「古典を読む」事前に読んだ課題図書について、班ごとに意見を交わす。

第2部は現役生からの質問にOBが応える。

 

今の修猷生は漠然とした雲に覆われているように思えた。

自治、歴史、伝統、修猷魂。

その伝統の重みを感じられることこそが、
修猷館たる所以である一方、その伝統が生徒を苦しめている。

出口の見えないゴールを探す中で不安を感じている。

「自分の意見が言いにくい」
「周りの人にどう思われるかが気になる」
「やる気の無い人達にどう伝えて良いか分からない」
修猷自治が失われつつある中で、何を残すべきなのか」
「自分達は何に向かっていけばよいのか」

SNS時代の副作用もあるだろう。
私達の時代以上の息苦しさを感じているのかもしれない。

私はこんな話をした。

大運動会、ブロックの発足当初は
自分の意見を言うと「なんあいつ調子乗っとん」
みたいなことを陰で(聞こえてたけど笑)言われていた。

自分もそういう周りの声が気にならなかった訳ではない。

だけどそれでも言い続けることができたのは、
周りではなく先輩方を見ていたからだった。

横では無く縦を見ていた。

そちらの重圧の方がはるかに苦しかった。

でもね。

迎えた大運動会応コン本番。

「おいパネル下げろ」

後輩に指示する声がする。

その声の主は僕をバカにしていた連中だった。

僕の高校時代最大のハイライトはこのシーン。

あれだけ冷めた連中にだって情熱は伝わるんだ。

それは必死に自分がやり続けたから。

いつだって変えられるのは相手では無く自分だけだ。

だから行動するんです。

とにかく言うんです。
とにかくやるんです。

社会人になれば残酷な程、差が出ます。

意見を言わなければ、行動しなければ、
どんどんおいて行かれる。

修猷館の大先輩中村天風さんが「積極心」を説かれています。

私は特別成績優秀だった訳ではないし、
未だ社会に出て素晴らしい実績を残した訳でも無い

修猷館の卒業生の中では完全にアウトローです。

今回ここに来たときも

「で、何しに来たんだ?」

ある先生から言われちゃったくらいです笑

だけどね。

来ちゃったんです笑

私が、今日、この場所で皆さんの前にこうして居るのは
先輩方から教わった「積極心」ただそれだけです。

 

 

無茶苦茶忙しかったけど、来て本当に良かったと思うし、

私の方が現役生からたくさんの力を頂きました。


高野山から急ぎ戻って参加した糸島の会議は
完全アウェー、大失敗だった。

「お前が偉そうに言うことじゃない」

ある方にお叱りを受けました。

仰る通りでした。

遅刻して参加した上に、会議の状況を知らずに混乱させてしまいました。

大反省です。生徒達に会わせる顔が無い…

でもね。


「言いたいことが言える自分になってから言うのではいけない」


と私の中の修猷魂が言ったんです。

まず、行動が先。失敗したら修正すれば良い。

生徒達に話した言葉は、そのまま今の私自身への言葉だった。

 

その行動が世のため人のためであれば

そのために変わり続けることを変えなければ

きっと空海が選んでくれる。

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いつもお世話になっているカレントのモーニングが変わっていました。

 

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I山先生有難うございました。わざわざお越し頂いたのに不在で申し訳ございませんでした。