まぶログ

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第2回地魚博覧会③

次の一歩を考えること
それはすなわち
「本当に残すべき価値とは何か」
について考えること。

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スペイン・バスク視察での最大の学びは
「制限することの大切さ」
だとお伝えしました。

今回の博覧会でどうしても皆さんの心に
刻み込んで欲しかったのは
昨年正式に漁が廃止になって長い歴史に幕を閉じた
「船越のイリコ漁」についてでした。

今の糸島でこの二つと向き合うこと、
それ自体、その考え方こそが価値だと思っています。

それはすなわち簡単に言えば反骨心であり、
優等生とは真逆のある種の不良性です。

うまい魚をこれからもずっと。

ここで言っている「うまい」は
決して「美食」とか「グルメ」とかいう
類いのことでは無いです。

このことを理解するために
「そもそも地魚って何」
ということを掘り下げているのです。

「地先の海で獲れる魚」
「それで喜んでもらおうとしたら」
「結果的にうまかった」

だけど時代が進み、人口が増え
それでは足りなくなってきました。

地先の魚で満足出来なくなれば
遠くまで獲りにいくしかありません。

遠くに獲りに行くにはお金がかかります。
儲けるためにはその分たくさん魚を獲らないといけません。

たくさん魚を獲ったら
いつでもどこでも大量に流通するようになりました。

獲った場所から遠くの運ばないといけないで
美味しさを保つことが難しくなりました。

その結果、資源の枯渇、魚離れ、漁価の低迷
たくさんのひずみが産れてきました。

だからこそ今一度、
原点にもどりたいと思っています。

イリコを獲っていたのは
船越だけではありません。
博覧会では野北浦(浦=漁村)で行われていた
イリコ漁の絵も展示しました。

当時のイリコ漁は浦総出での一大事業。

みんなが協力し合わなければ、絶対に出来なかった漁でしょう。

時代が進み、船も網も大きくなりました。

イリコが大量に獲れるようになり
市場に出荷するようになりました。

その他の浦々からも集れば
市場でイリコが余ります。

そうすると市場の原理で値段が下がります。

それならばと
自分達で獲ったを自分達で加工して
自分達で販路を見つけて売り始めて
たくさんの方に愛される商品となったのです。

はじめは

「やれるものならやってみろ」

そんなことも言われたそうです。

それでもやり続けてこれた理由の一つに
反骨心があると想えて仕方が無いのです。

そんなイリコ漁も無くなりました。

あの美味しかった船越のいりこは、もう食べられません。

あえてその原因は振り返りません。

何よりも大切なことは
イリコ漁で発揮された反骨心を
これからもずっと
残すことだと想っているからです。