まぶログ

脱サラ、移住、起業、地域活性化、まぶログのリアルな体験記

志摩の海鮮丼屋10周年③

10周年を前にして、
当時私達の挑戦にGOを出して下さった
ある方に聞いたことがあります。

「あのとき何で僕達に任して下さったんですか?」

当時は糸島で活動し始めてから未だ1年余り。

それこそ海の者とも山の者とも知らない
コンサル上がりの典型的な怪しい奴。

当時は本当に何も知らなかったので
当たり前のように出店計画を進めていましたが
今考えてみると、どう考えてもおかしいのです。

それはもう、ほとんど、
ミッション・インポッシブル。

何故なら、直売所は地域の素晴らしい生産物だけでなく
地域の色んな方の思いが集まる場所だからです。

それだけに様々な運営の難しさがあるのは
日本全国津々浦々、共通のことだと聞きます。

つまり、そもそも私達である必要の無い案件であり、
むしろ他の人の方が上手く可能性が高かっただろうと
客観的に見ても確信的に思うのです。

それでもお店を始めることが出来た理由の一つとして
まず挙げられるのは、
恩師が積み上げてきた信用だと思います。

そもそも

「志摩の海鮮丼屋を始めよう!」

と言い出したのは、その大学時代からの恩師です。

私は言われるがまま、その役割を全うしようとした
というのが実情。

(これはまたの機会に書くかどうか分かりませんが、私は別の道に進もうとしていて、事実某地場企業の人事の方との面接も済ませていたところでした)

それでも、それだけでは説明が付かない訳です。

くどいですが、どう考えてもおかしい。

いずれにせよ
志摩の海鮮丼屋始まりの最大の疑問について
10年経ってようやく伺うことができました。

勇気を出して聞いたその答えは・・・

 

 

「お前は何かやってくれそうな気がしたったい」

 

 

 

ただただ有難く、
その器の大きさこそが糸島の底力なのだと
改めて思うとともに、私自身もそのような人間になりたいと
強く思いました。

この方、恩師だけに限らず
当時力を貸してくれた方々とは
今では疎遠になってしまいましたが

「あのときの恩をどうしたら返せるか」

は私の人生の大きなテーマの一つです。

ただ10周年を迎えた今このタイミングで
変に御礼を言うのも、何か違う気がしています。

「未だ何かを成し遂げた訳ではないだろう」

仲間達ならきっとそう言うはず。

JF糸島様、志摩の四季様を始め
お客様、たくさんのじざかなかま、
そして糸島の漁師を中心とする生産者に支えて頂きながら
ゼロだった自分達に小さなイチを足し続けてき結果、
10年が経ちました。

田んぼ中にある直売所の片隅、
たった25席のお店から始まった地魚物語。

玄海灘同様に予測が難しく気まぐれな物語ではございますが
もう少しだけお付き合い頂けると幸いです。

最後になりますが、次の10年に向けて。

(つづく)

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