満の梅
今思えば2019年12月に実施した
バスク視察には運命的なものを感じる。
その後世界中がパンデミックとなり
移動が出来なくなったこともだけど
全てにおいて、これ以上無いタイミングだったと思う。
あれから2年、
あの地で見てきたものや聞いてきたこと
感じた魂に、導かれるようにたくさんの挑戦をしてきた。
ゲタリア名物のアンチョビは
姫島の定置網で獲れる黒ムツを使って「定置あみチョビ」として
ゲタリア名物、エルカノの地魚の炭火焼きは
グランピングや牡蠣小屋で真鯛の炭火焼きに
ゲタリアの漁協に昔の漁具が展示されてるのを観て
地魚博覧会には漁具を展示するようになり
オンダリビアの「世界一のスープ」は飲めなかったけど
そのときその場所でしか飲めない「糸島ブイヤベース」に挑戦しました。
そのときから漠然と思っていた夢。
それは「地魚に合うワインの開発」と「宿泊拠点施設の建設」。
前者はチャコリのワイナリー、
後者はそのワイナリーに付帯したホテルを観る中で広がった世界線。
そのときは未だおぼろげな線だったのが、
一年前にボロボロだったとき、
スタッフ募集の面接に来てくれた一人が、酒蔵で働いてきたことを知り、
彼と向き合ってみようと思った。
そして昨年度文化庁の事業に取り組む中で
その想いは少しづつ、しかし確かに醸成された。
僕の母は筑後の酒処の出身。
父と結婚する前は、酒蔵で働いていたそうだ。
そんな母の父、つまり僕にとっての祖父が
戦時中満州で日本酒を造っていたことを知ったのは
ここ最近の話だ。
姓が梅崎なことからその名も「満の梅」。
さらに満州で唯一のキリンビール特約店でもあったそうだ。
色々大変なこともあったそうだけど
ヤクザにおどされても道理が通らないことには
ガンとして戦ったそうだ。
(そういうところ、何か似てる笑)
じいちゃんは僕が小学生の頃にガンで亡くなった。
今の母の年齢より若かった記憶がある。
初めて人の死に触れた瞬間であり、
今でも臨終の際の病室の様子は記憶に残っている。
いつもブスっとしてて孫にも厳しくて
あまり話をした記憶は無い。
「もしじいちゃんが生きていて、今のあなたと話したら喜ぼうね」
あるとき母が言った。
もし生きていれば、酒造りのこと、色んな話をしたかったけど
それはもう叶わない。
でも大丈夫。
魂は確かに生きている。
地魚BANKは宿泊施設とワイナリーの建設に挑戦します。