まぶログ

脱サラ、移住、起業、地域活性化、まぶログのリアルな体験記

新年あけましておめでとうございます

怒濤の年末を乗り越え
這うように家族が集る実家にたどり着くも
力尽き果ててしまい
年越しそばを食べる事も無く・・・

気絶するように寝て起きたら
新年を迎えておりました。

それでも1日しっかり寝ればスッキリ!チャージ完了!

正月早々から

「地魚に合うワイン作り」

の原材料確保に向けて本格的に動き始めております。

もちろん私自身が農家となり
糸島でワイン用ブドウ栽培を始めることに
変わりはありません。

既に苗木は400本購入しておりますし
1月下旬には追加で2年生の苗も30本購入させて頂く予定です。

 

しかしその実が成るのは未だ未だ先のこと。

醸造免許を取得するためには
最低醸造量をクリアせねばなりません。

そのために必要な量のブドウが出来るのを待っていては
到底資金が持ちませんし
永遠に「鶏が先か卵が先か」を議論して前に
進まないことでしょう。

そこで我々のプロジェクトは

他地区産のブドウを購入し、徐々に糸島産の比率を高めていく

方針で進めています。

とは言え、都市型ワイナリーだけに限らず
各地で国産ワイン作りが隆盛の中
特にワイン用品種のブドウは全国で取り合いの状況とのこと。

新参者の我々が都合良く
他地区産のブドウを仕入れることが出来るかどうかは
未だ未だ不透明な状況です。

原材料の確保に向けて
ご縁にご縁を重ねて行き着いた先は
とある国営農地開発地区。


そうです。

前職開発コンサルタント時代に
嫌というほど携わってきた土地改良事業そのもので
開けた生産現場に行き着いたのです。

事業を興す側から、活かす側に回るかもしれない。

それはつまり
事業効果を算定していた側から
事業効果そのものを発現させる側としての
挑戦が迫っているということです。

古くから馬淵のことを良くご存じの方は
この「不思議な巡り合せ」に
驚き共感頂けるかと思います。

つくづく人生はご縁だなぁと。

まさか当該県内のワイン用葡萄の8割がここで
生産されているなんて。

まさかついこの間飲んだあのワインの
原材料ブドウがこんなに近くで作られていたなんて。

そして詳細は未だ書けませんが、
早くも、糸島で10年以上取り組んできた
自分達の商いが試される場面が訪れております。

場所が変わっても、地域や生産者に対して
自分達が大切にしてきたことを変えるつもりはありません。

他地区でも自信を持って貫いて参りたいと思います。

 

これからここでどんな物語が始まっていくのか
はたまた全く違う場所で違う展開を見せていくのか
はっきり言って、全く予想が付きません!

 

とにかく今年も自分達の運命に
体当たりし続けて行きたいと思いますので
何卒お力添えの程宜しくお願い申し上げます!

 

※写真は年末お歳暮で頂いた
姫島若吉丸さんの本鰆。

大切な方々に振る舞わせて頂き
大変喜んで頂きました!

【修猷館高校SYC研修】生徒からの感想

先月実施した母校の生徒達を対象にしたフィールドワーク。

感想が届きました。

  • 今回の講座(テーマ「漁業」)から、どのようなことを学びましたか?

・漁村を見学したり、地域の方のお話を聞いたりする中で、地域を発展させていくには地元への大きな愛と成功させようという意志が大切だと感じました。今回初めてSYCに参加して実際に現場を知ることが大切だと思いました。地域の風を感じ、声を聞くことで自分考えが広がったり、固定観念が少しずつ打ち壊されていくような感覚でした。稲荷神社で伺った話の中で特に「0.00000001N」の力で行動出来るという言葉が印象に残りました。物事は常に作用・反作用で成り立っていて「それ」をやりたいという作用とやりたくないという反作用が釣り合っている。しかし、もし0.00000001Nの作用の力を加えることが出来たならやりたい方向に進めることができるというのが馬淵さんの考えでした。

・まず、今回はじめてカキを食べて貝類に苦手意識があったから心配だったけど、とても美味しくてびっくりしました。次は家族と一緒に糸島の牡蠣小屋に行ってみたいなと思いました。糸島の漁村を歩いているとき、魚村そのものから歴史を感じることが出来ました。色々なところで育ててあるイヌツゲ、醤油の良い香りがする醤油工場、ひっそりとした神社など歩いているだけで新しい経験ができて良かったです。また歩いている中で出会う人達全員が馬淵さんと親しそうに話していて、信頼されている人は格好いいなと思いました。馬淵さんの話の中でも信頼関係を築くことは大切だと仰っていて1から起業するときは周りの人との関係を上手く築いていくことが将来大きな糧となるのであろうと気付きました。

・漁村を歩いて回る中で馬淵さんが色々な方に声をかけられ、かけていてそういう町の雰囲気がとても温かく、すごく好きでした。そんな風に町の人から信頼されるのはとても難しいことだと思いますが、それをコツコツ積み上げてきた馬淵さんの努力の結晶だと思いました。ワイナリーなど自分で色々考え出てきたアイデアや感想をすぐに行動に移して実行していく行動力に驚きました。また、考えたものがすぐにはできなくても巡り巡って出来るようになる。偶然と言えそうなことですが、自分がしてきたことが必然的にそのことに繋がっていくのではないかと思いました。私もこれから積極的な姿勢を心がけたいです。

・私が今回の講座を通して学んだことは「信頼」が如何に大切であるかということだ。馬淵さんは海鮮丼のお店を開いたり、ワイナリー事業を始めたりと幅広く仕事をされている。もちろんそのような仕事を一人ですることはできない。「人の助け」があってこそ実際に行動することができる。では人の助けを得るにはどうすればよいか。そう考えてきたときに「信頼」という言葉が浮かんできた。漁村のように狭く深いコミュニティの中では互いに助け合って生きていなければならない。そのようなときに「信頼」というのは必要条件だ。そしてその信頼を築いていくのはその人の「人となり」だと考える。馬淵さんは座談会で「自分自身のことはとてもつまらん人間だと思って、他の人を切り離すようなことをしないように最近意識している」と。私はこの言葉に感銘を受けた。「この人は自分とは合わないから」といって関わらないような生き方をしていては、人間味に溢れた大人になることはできない。様々な人との交流を通して色々な経験をすることでその人自身の人間性がより熟し、結果的に「信頼」を勝ち取るのだろう。私はこれからの人生出会っていく人達と可能な限り交流をして「人間としての味」が濃い大人になっていきたい。

  • あなたの「心のエンジン」は、どのように駆動しましたか?

・今回馬淵さんのお話を聞いてまず思ったことは、行動力がすごいということです。新しいことをいくつもすることは結構勇気がいることだと私は思います。現場のことは現場の人にしか分からないと思うので途中から入っていくのは尚更難しいことだと思います。私はいつも失敗したときのことを考えてしまうので馬淵さんの「ネガティブをポジティブに変える」ところを見習いたいと思います。また高校生のときに将来の夢が無くても不安になり過ぎることはないんだという勇気を貰えました。周りの人は夢を持っている人も多くて焦ってしまっていたけど、今は色んな業種に触れて本当にしたいことは何なのか見極めていきたいと思います。そして人と関わるときは深くまで知ろうとする姿勢を私も大切にしていきたいと思います。

・今回のSYCで感じたことは「地元を盛り上げようとする地元愛」でした。自分が育った地元のためにここまで活動できるなんて・・・と、とても感銘を受けました。しかもその行動力に地元の人達が巻き込まれて一緒になって地元を盛り上げている姿はとても凄かったです。私も自分が産まれ育った地元は大好きなので、将来小さなことでも何か貢献したいと思います。また、馬淵さんのように何でも話せる心を許した友達を作りたいと思いました。松崎さんと馬淵さん二人の間には、言葉では言い表せない絆が感じられました。そんな関係が築けるのも2人が同じ目標をもっていて、それに対する高い志があるからだと思いました。今、たくさんの個性豊かな仲間が近くにいること、手を差し伸べて下さる先生方と出会えたこと、普通の高校生ではあまり学べないようなことを常に学べる修猷館に入れたこと、全てが恵まれていると実感しました。

・馬淵さんのお話の中で「天命追求型」と「目標達成型」の話があった。ちなみに私は後者だ。(中略)目標達成型の良いところは最短コースでその夢が達成できる。その一方で回り道しないと手に入れられないような大切な何かを見逃しているいるような気にもなった。(中略)だから今回の講座を通して最短コースじゃなくて、少し遠回りしていくのも面白いだろうなと思った。


我が後輩ながら、本当に良く聴いてくれてますね・・・

母校の後輩と恩師を前に僕が糸島に来てから
一番古い付き合いの松崎治久さんと、
そして松末稲荷神社のお宮の中でのフリートーク

今まで一番、素の自分と言いますか
本当に気持ち良く(好き勝手に)お話させて頂きました。

ただ天命追求型と目標達成型の話には続きがあります。

天命追求型であっても、目の前の小さな目標が達成出来るように
必死に頑張らないといけないし
目標達成型だって、自力だけには限界があって
天命に委ねる場面が絶対にあるから
決して全て自分の思うとおりにはならないからこそ
義理や人情が大切・・・

と、未だ未だ話し足らないこともありましたが
当時の自分がそうであったように
周りの人が明確な夢持って頑張ってると
焦ってしまったり卑下してしまったりするんだけど
焦らなくて良いよというのは、伝わったようです。

夢が無いなんて最高じゃないか。
無いならこれから何だってなれるんだから。
まず、夢を持ってる仲間を応援してみよう。

ともあれ、
私の垂直を引き出してくれた松崎さんに大感謝。

我らながら、今まで一番、お互い腑に落ちる話が
出来たのではないかと思っています。

いつか焚き火を囲みながら、色んな仲間と語り合いたいな。

※写真は先日ご来店頂いた母校の先生形。W杯ドイツ戦の立ち上がりくらい、もの凄い「圧」を感じました・・・

ついでに10年前にお越し頂いたときの写真も。本当に有難いことです。

満の梅

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今思えば2019年12月に実施した
バスク視察には運命的なものを感じる。

その後世界中がパンデミックとなり
移動が出来なくなったこともだけど
全てにおいて、これ以上無いタイミングだったと思う。

あれから2年、
あの地で見てきたものや聞いてきたこと
感じた魂に、導かれるようにたくさんの挑戦をしてきた。

ゲタリア名物のアンチョビは

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姫島の定置網で獲れる黒ムツを使って「定置あみチョビ」として

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ゲタリア名物、エルカノの地魚の炭火焼きは

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グランピングや牡蠣小屋で真鯛の炭火焼きに

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ゲタリアの漁協に昔の漁具が展示されてるのを観て

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地魚博覧会には漁具を展示するようになり

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オンダリビアの「世界一のスープ」は飲めなかったけど
そのときその場所でしか飲めない「糸島ブイヤベース」に挑戦しました。

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そのときから漠然と思っていた夢。

それは「地魚に合うワインの開発」と「宿泊拠点施設の建設」。

前者はチャコリのワイナリー、
後者はそのワイナリーに付帯したホテルを観る中で広がった世界線

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そのときは未だおぼろげな線だったのが、
一年前にボロボロだったとき、

mab-log3.hatenablog.com

スタッフ募集の面接に来てくれた一人が、酒蔵で働いてきたことを知り、
彼と向き合ってみようと思った。

そして昨年度文化庁の事業に取り組む中で

www.fukuoka-now.com

www.fukuoka-now.com

www.fukuoka-now.com

その想いは少しづつ、しかし確かに醸成された。

僕の母は筑後の酒処の出身。

父と結婚する前は、酒蔵で働いていたそうだ。

そんな母の父、つまり僕にとっての祖父が
戦時中満州で日本酒を造っていたことを知ったのは
ここ最近の話だ。

姓が梅崎なことからその名も「満の梅」。

さらに満州で唯一のキリンビール特約店でもあったそうだ。

色々大変なこともあったそうだけど
ヤクザにおどされても道理が通らないことには
ガンとして戦ったそうだ。
(そういうところ、何か似てる笑)

じいちゃんは僕が小学生の頃にガンで亡くなった。
今の母の年齢より若かった記憶がある。

初めて人の死に触れた瞬間であり、
今でも臨終の際の病室の様子は記憶に残っている。

いつもブスっとしてて孫にも厳しくて
あまり話をした記憶は無い。

「もしじいちゃんが生きていて、今のあなたと話したら喜ぼうね」

あるとき母が言った。
もし生きていれば、酒造りのこと、色んな話をしたかったけど
それはもう叶わない。

でも大丈夫。

魂は確かに生きている。


地魚BANKは宿泊施設とワイナリーの建設に挑戦します。

積極的に生きる

ある朝、
起きてすぐトイレに行くと
目の前が真っ暗に。

ふらつく身体を持ち直し
リビングに向かったが
どうにも心臓が苦しい。

鼓動が、早い。

実はそれまでも
脈がおかしいことはあった。

ただそれは通常「ドクドクドク・・・」が「ドックン」と
大きく溜めてからうつような感覚で、その一瞬だけ。

でもこの日は
「トゥルルルルル・・・」
といった新幹線の発車のベルのような
脈がずっと続いていた。

しばらくすれば収るだろうと思い
いつものようにお店に行くけど
どうにも収らない。

耐えかねて自宅近くの病院に行くと
「ウチではどうしようも出来ない」
と循環器を紹介される。

しかし時間は
お昼休みになろうとしていたところ。

それならまた明日にでも行きますと
仕事に戻ろうとしたところお医者さんから

「ずっと全力でダッシュしているような状態なんですよ!」

いさめられて
あれよあれよと救急へ。

自分の運転で来てはならないと。

急遽妻が仕事を切り上げてくれて
ハンドルを握ってくれたが
動揺が隠せない様子。

そのドキドキのお陰で
自分は逆に冷静になれたりするから不思議なものだ。

結局その日は「たまたま」症状が治まり帰宅。

約2週間後に自宅で再発し救急搬送。

その後検査を進める中で
命に関わる可能性がゼロじゃないと分かり
手術を決断しました。

この手術が痛いの何のって・・・

「え?全身麻酔じゃないと?」

と思われるかもしれませんが
症状を確認しながらのカテーテル手術のため
リラックス状態では勝手が悪いことから
敢えての部分麻酔とのこと。

電気で心臓を焼かれる感覚は
今まで味わった「あらゆる痛み」の中で
最上級クラス。

あと検査のときに
心臓の鼓動を一時的に弱める
(ていうかほぼ止められるられる)
のですが、これまたサイジョウキュウ。。

一瞬で全身の血の気が引いて急に寒くなり

「あぁ・・・死ぬってこういう感覚なのかなぁ」

と思いました。

心臓を止められて、焼かれて。

生きているウチに
中々経験出来ることじゃないなと思いましたが
出来ればもう経験したく無い。

結局、病気の原因は良く分からないそうなのですが
シンプルにストレスだと思う。

ちょうどその頃
スタッフが一気に3人辞めた。

自分なりに向き合ってきたつもりだったけど
響かなかったし、届かなかった。

コロナ禍の中、
全スタッフの雇用を守ろうと
必死になって働いて挑戦してきたけど
矛盾した結末に虚しさを感じた。

手術の成功確率は50%とのこと。

生きるか死ぬかではなくて
全ての原因を取り去ることが出来るか
最悪の結果を招く原因だけを取り去るか。

結果的には後者となったため
術後一年を経過しても未だ症状は残る。

もしかすると
一生付き合っていくことになるのかもしれない。

あの痛みを乗り越えた結末に
虚しさも感じるけど
あのとき病気とは言え
一瞬立ち止まることが出来て
本当に良かった。

そして変らず、積極的に生きることが出来た。

それは間違い無く
「読書のちから」
のお陰だ。

「情報断食」には

「真空状態が長く続かないように、一気に何かが抜けたら、一気に埋めようとする力が働く」

とあった。

お陰様でたくさんの心強い仲間が入ってくれた。

今度は彼らと向き合う日々が続く訳だけど
良い意味で力を抜くことも学んだ。

私自身に空いた穴に入ってきたものも興味深い。

今年も地魚漬けの毎日だろうけど、
敢えて穴も空けたいと思う。

「くらしのアナキズム」と「自然の哲学」は
これまでローカルで漠然と課題としてきたことに
大きな示唆をくれた。

やはり僕はアナーキーな生き方に憧れてて
地魚BANKはその実践の一つなのだ。

「何故地魚BANKを始めようとしたのか」

何度も取材で聞かれたが
それは中村天風氏に言わせれば
「宇宙霊の仕業」であることを
「力の結晶」は非常に科学的に教えてくれた。

ここ数年の大きな課題は
インプットとアウトプットのバランス。

もし私が出版するとしたら
こんな出版社さんにお願いしたいと
「しずけさとユーモア」
は思わせてくれた。

「本を贈る」で出版という仕事そのものを
見つめ直すことが出来たのも大きい。

「くらしのアナキズム」に戻ると
著者は奇しくも私も前職で赴任した
エチオピア北部での経験が
大きなきっかけとなっている。

何より著者の
この本をまとめた科学者としての気概に
非常に感銘を受けた。

その想い通りに
勇気を頂いた一人として感謝したい。

エチオピアから帰国する際
あのとき一緒に仕事した仲間から
貰った言葉が今になって響く。

「馬淵さんにも良い風が吹きますように」

皆様にも良い風が吹きますように。

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志摩の海鮮丼屋10周年④

うまい魚って、
一体どういう魚でしょうか。

旬の脂が乗っている状態のことを
指すのでしょうか。

いやいや脂の乗りだけじゃなくて
旨味の素、アミノ酸の含有量が・・・

とにかく鮮度が一番!
神経〆、血抜き、●●式で処理しました!

さらにそれを嫌気性菌の繁殖を抑えて
真空包装にして1週間熟成をかけると・・・

やっぱり脂が乗ったマグロの大とろが最高!

でも年を取ってくると
こってりしたものばかりはキツいよね。

やっぱり素材に頼るのではなくて
江戸前の手仕事をしてこそのうまい魚でしょう。

一言にうまい魚と言っても
色んな捉え方があるように思います。

どの視点も否定しませんし、
勉強し続けないといけないことだと思っています。

一方で10年間、地魚と向き合う中で
私自身にとっての
うまい魚の定義は確実に変わりました。

だって旬じゃ無い魚も網には入るし、色んな魚が獲れるんです。
神経〆が上手く行かず血が走ることもあります。
思ったような脂のノリ、サイズじゃない魚もあります。

それでも、
その魚にはたくさんの想いが込められています。

「本鰆シールが貼れるのは脂が乗る11月からやけど、同じように氷締めしとるよ」

「経費はかかるばってん、来年以降のために、天然のイヌツゲば使っとったい」

「市場の方が高く売れるときもあるけど、いつも買ってくれる地元の人も大切にしたいしね」

「あーたが困っとると思って、時化ん中沖さいったとたい!」

こんな想いやご尽力、
さらには地域の歴史、文化を経て目の前に届けられた魚は
それすなわち、うまいと。

次の10年はこんなうまいに、もっと気付いて、もっと伝えたい。

具体的には

■宿泊・ツーリズム「うお旅」事業
■地魚曼荼羅、魚箱を初めとする地魚LIFEデザイン事業

に取り組んで参ります。

令和元年度より取り組んでいる農水省の「農泊推進事業」と共に
今年度は文化庁「上質な観光サービスを求める旅行者の訪日等の促進に向けた文化資源の高付加価値化促進事業」に採択頂いております。

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko/bunka-jyoushitsu.html

うまい魚を これからも ずっと。

地魚BANKの新しい挑戦、引き続きお付き合いの程、
何卒宜しくお願い申し上げます。

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志摩の海鮮丼屋10周年③

10周年を前にして、
当時私達の挑戦にGOを出して下さった
ある方に聞いたことがあります。

「あのとき何で僕達に任して下さったんですか?」

当時は糸島で活動し始めてから未だ1年余り。

それこそ海の者とも山の者とも知らない
コンサル上がりの典型的な怪しい奴。

当時は本当に何も知らなかったので
当たり前のように出店計画を進めていましたが
今考えてみると、どう考えてもおかしいのです。

それはもう、ほとんど、
ミッション・インポッシブル。

何故なら、直売所は地域の素晴らしい生産物だけでなく
地域の色んな方の思いが集まる場所だからです。

それだけに様々な運営の難しさがあるのは
日本全国津々浦々、共通のことだと聞きます。

つまり、そもそも私達である必要の無い案件であり、
むしろ他の人の方が上手く可能性が高かっただろうと
客観的に見ても確信的に思うのです。

それでもお店を始めることが出来た理由の一つとして
まず挙げられるのは、
恩師が積み上げてきた信用だと思います。

そもそも

「志摩の海鮮丼屋を始めよう!」

と言い出したのは、その大学時代からの恩師です。

私は言われるがまま、その役割を全うしようとした
というのが実情。

(これはまたの機会に書くかどうか分かりませんが、私は別の道に進もうとしていて、事実某地場企業の人事の方との面接も済ませていたところでした)

それでも、それだけでは説明が付かない訳です。

くどいですが、どう考えてもおかしい。

いずれにせよ
志摩の海鮮丼屋始まりの最大の疑問について
10年経ってようやく伺うことができました。

勇気を出して聞いたその答えは・・・

 

 

「お前は何かやってくれそうな気がしたったい」

 

 

 

ただただ有難く、
その器の大きさこそが糸島の底力なのだと
改めて思うとともに、私自身もそのような人間になりたいと
強く思いました。

この方、恩師だけに限らず
当時力を貸してくれた方々とは
今では疎遠になってしまいましたが

「あのときの恩をどうしたら返せるか」

は私の人生の大きなテーマの一つです。

ただ10周年を迎えた今このタイミングで
変に御礼を言うのも、何か違う気がしています。

「未だ何かを成し遂げた訳ではないだろう」

仲間達ならきっとそう言うはず。

JF糸島様、志摩の四季様を始め
お客様、たくさんのじざかなかま、
そして糸島の漁師を中心とする生産者に支えて頂きながら
ゼロだった自分達に小さなイチを足し続けてき結果、
10年が経ちました。

田んぼ中にある直売所の片隅、
たった25席のお店から始まった地魚物語。

玄海灘同様に予測が難しく気まぐれな物語ではございますが
もう少しだけお付き合い頂けると幸いです。

最後になりますが、次の10年に向けて。

(つづく)

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志摩の海鮮丼屋10周年②

2011年9月1日オープン当日。

大学のサークルの仲間から
お祝いのお花が届きました。

他にもたくさんの方から
置き場に困るくらい頂きました。

そしてそのお花が

「こんなにも勇気をくれるのか」

と、心の底から力が湧いてきたことを
今でも鮮明に覚えています。

次に自分の仲間が挑戦するときは
今度はお返しに応援出来る自分でありたいと
強く思いました。

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オープンから数日は
怒濤の如く過ぎ去っていきました。

どのように過ごしたかも覚えていませんが
毎日本当にやることばかり
営業はもちろん会計作業、給料計算、雇用保険、シフト作りに、情報発信・・・

「こんなにきつい仕事、本当にこれからも続けられるのか・・・」

と絶望していたことだけは覚えています。

ただ一方で

「みんなやってるし、きっといつかは馴れるはず」

と楽観的な自分もいました。

社会人時代の経験や当時貪るように読んでいた読書の
お陰もあると思います。

とは言え、スタートは問題ばかりでした。

何しろ素人が一ヶ月で準備したお店です。

「自分達が食べて美味しくないものは出さない」

と決めて始めましたが
当時はそもそも地魚に対するモノサシが足りていなかったのです。

今だから言えますが、あるお客様から

「この店は糸島の恥や」

と言われたこともありました。

サービス、味、お客様のご期待に添えなかった
当方の至らなさに対しての、厳しいお言葉でした。

そのときはあまりのショックにスタッフにすら言えませんでした。

それからと言うもの、より一層勉強の日々。

地魚の旬はもちろんのこと、目利き、漁法、神経〆や氷〆等の下処理、
あら汁の臭みの取り方、美味しいご飯の炊き方、知らないことだらけでした。

特に地元の魚については地元の漁師さんに聞くしかありません。

漁師さんって、とっつきにくくて無愛想なイメージですよね?

大体その通りでした笑

挨拶をしてもあからさまに無視されたりなんてことはしょっしゅう。

でもそれはそうです。

いきなり現れた素人の若造に自分が命をかけて獲ってきた魚について
そう易々と話す訳がない。

当時色んな方から「あの店は3ヶ月で潰れる」と言われていたそうです。

九大のやつらが研究か実証実験か分からないけど興味半分で始めただけだろうと。

そんな状況もあって、漁師さんや地元の方とのコミュニケーションは
非常に難しいものでした。

それでも勇気を出して、何度も何度もめげずに聞きました。

とにかくその方の魚を買って、食べて、美味しかったら
美味しかったと素直に伝えました。

すると少しづつ、魚について教えてくれるようになりました。

その教えてくれたことを実践して、また質問して。の繰り返し。

何とか食らいついていきました。

漁師さんにとっては当たり前のことも僕にとっては
本当に興味深く思いました。

魚の話はもちろんですが、
プライベートなことも話すようになりました。

あんなにとっつきにくかった漁師さん達が
こんなに面白い人達だったなんて思いもしませんでした笑

朝からくだらない話で大爆笑することもしばしば。

漁師さん達はどう思われているか分かりませんが
少なくとも僕にとっては楽しい時間です。

今では漁師さんの方から

「良か魚が入ったばい!」「あーたがいると思って持ってきたとばい!」

と電話がかかってくるようになりました。

漁師さんを応援しようと始めたお店ですが
むしろ応援されているのは自分達だと気付きました。

(つづく)