まぶログ

脱サラ、移住、起業、地域活性化、まぶログのリアルな体験記

ヤソゼリと半夏生

8年ぶりに湯布院へ。
(仕事兼プライベート)

宿泊先は12年前にも宿泊した「草庵秋桜」。

f:id:mab-log3:20190705130948j:plain

f:id:mab-log3:20190705131003j:plain

地元の食材を中心とした食事が有名なお宿。

相変わらずどの料理も美味しく大満足でした。

f:id:mab-log3:20190705131242j:plain

f:id:mab-log3:20190705131224j:plain

f:id:mab-log3:20190705131315j:plain

f:id:mab-log3:20190705131327j:plain

f:id:mab-log3:20190705131341j:plain

f:id:mab-log3:20190705131357j:plain

f:id:mab-log3:20190705131407j:plain

f:id:mab-log3:20190705132727j:plain
f:id:mab-log3:20190705131043j:plain

 

2年前にJR九州ななつ星」と同じデザイナーが
リニューアルしたお部屋はラグジュアリーな中に
どこかホッとするような落ち着き。

なのですが…

娘たちが暴れて落ち着けない!

そんな子連れでも安心できるよう
キッズルームもあってとっても有難かったです。

由布岳と豊後牛の絵は家にも飾りたいくらい
パッションを感じました。

f:id:mab-log3:20190705131118j:plain

それにしても久々の湯布院、
驚いたのはどこを歩いても海外の方で一杯!

地元の方に聞くと
ここ5年で急激に増えたとのこと。

ちなみに15年前、
私が大学生のときに書いた卒論のテーマは

「湯布院における農業を活かしたまちづくり」

卒論発表会のときに教授陣から

「君の卒論は一体どこが新しい内容なのかね?」

と総ツッコミを受けたくらい
私の研究に目新しさはほとんど無く
当時でも研究し尽くされていた
湯布院における農業を活かしたまちづくり。

50年以上前、地元の有志が
別府のような大規模施設型の観光地とは違った
「湯布院らしい」発展の在り方、目指すべき姿を
追い求めてドイツまで視察に行ったそうです。

そこで見た風景、景色、考え方に衝撃を受け
神社仏閣、名所旧跡、歓楽街を売りとする
従来の観光地ではなく
由布岳の草原や、昔ながらの農村風景、
地元の食材を中心とした「生活型観光地」
としての発展を目指すようになった。

具体的な活動としては

由布岳付近の草原を守るために始めたオーナー制度
「牛一頭牧場運動」や「牛喰い絶叫大会」

・のどかな農村風景を産み出す
田んぼ作業を補助する「ワラこづみ条例」

・地元食材を使ったレシピ開発等を行う
「ゆふいん料理研究会」の発足

等など、当時としては
かなり先進的な取り組みの数々。

そんな湯布院の「今」

たった一泊二日で批評するつもりも無いし
それほどの知見もありませんが
確実に言えることは、街は絶えず変化しているということ。

それも物凄いスピードで。

今回私達が湯布院を訪れたのは7月2日。

その日は夏至から数えて11日目の暦「半夏生
と呼ばれているそうです。

田んぼの作業が一区切りする時季。

この日関西ではタコを食べる風習があると
ある地魚仲間がFBに上げていたことを思い出しました。

宿に到着し
金鱗湖に向かう小川沿いを歩いていると
地元の方が何かを刈り取っていたました。

娘たちの「こんにちは~」をきっかけに
色んな話をして下さいました。

私が

「実は卒論で湯布院について研究させて頂いて、あのとき○○さんや○○さんにお世話になって…」

「あぁ○○さんは大学の教授になったよ」
「○○さんが働いてた宿の女将さんは知り合いでね…」

とリアルな「湯布院の今」についてお話下さいました。

「ところでどこから来たんかね?」

糸島からと伝えると

「そうかいあそこは良いとこやAZの前に新しく駅も出来たし」

よ、良くご存じですね…

「何の植物を刈っていたんですか?」

一つはヤソゼリ。

湯布院にはキリシタン墓地があるように
古くからヤソ(キリシタン)との関わりがある地域。

当時ヤソが持ってきたセリの仲間を
ヤソゼリと呼び、一般的にそれはクレソンのこと。

もう一つは小川沿いに自生していた半夏生

暦に合わせて刈り取りに来ていたことに
別れたあとに気づきました。


「せっかくだから一番白が綺麗なのをあげよう」


その土地の歴史、文化、お心遣い
今回の旅の一番のお土産として
家に持ち帰って生けてます。

*****

***

くだんの卒論発表会での
教授陣の指摘に対する私の回答は

「湯布院について何も知らなかった私が研究したことが新しいんです!」

苦し紛れの屁理屈に
聞いていた教授は呆れるばかり。

あれから15年が経ち、地魚ツーリズム協議会を立ち上げ
何かに導かれるように湯布院を訪れた半夏生

ちなみに半夏生花言葉は「内なる情熱」

あのときに戻れるならこう言いたい。

「今回の卒論はこれから新しいテーマに向かうためのあくまで序章なんです!」

糸島における地魚(一次産業)を活かしたまちづくり。

まずは地道に各論から。

ゴーシ魂

夏目漱石の「こころ」を思い出すとイメージしやすかった。

こころの中には魂と情感が含まれている。

※詳しくは「魂の燃焼へ」をご覧下さい↓

www.youtube.com



魂とは人類共有の「考え方」みたいなもので
「人は殺してはいけませんよ」とか「弱いものはいじめてはいけません」
といった人類の叡智のようなもの。

 日本で言えば「お天道様がみているよ」とか「忠義を重んじる武士道」
とかが日本社会全体が大切にしてきた共有の魂だろう。

 

一方で情感は人間一人一人が持つ固有のもので
満月を見てある人は「キレイ」だと思うかもしれないし
「はかない」と悲しくなるかもしれない。

 

「こころ」の中でお嬢さんに恋をした「K」は
「精神的に向上しないものは馬鹿だ」という魂を
自らの純粋無垢な「情感」が故に、受け入れ、
それを自分の中で燃焼させた結果、
自殺という道を選んでしまったのだろう。

 

他の人の情感なら
「恋によって精神的に向上できる」と思うかもしれないし
そもそも「別に気楽に生きていけば良いじゃん」とその魂(≒考え方)に
感応すらしないかもしれない。


つまり、素晴らしい考え方に出会う機会は
誰にでもあるんだけど、それを受け入れるかどうかは
個人の情感次第なので、そもそも素晴らしいとも感じないかもしれない。

だけど間違いないことは、
自分という人間のこころは自分一人のものではなく、
家族はもちろん今まで出会った仲間や恩師、先人の生き様が
あって初めて出来上がったものだということだ。


僕という人間のこころは

「誰もやっていないことに挑戦する」
「目の前の人を全力で喜ばす」

という大学の研究室に漂っていた「魂」を
「それ、なんかワクワクする」と
僕の情感が受け入れたことから出来上がってきた。

それは古くは母校の修猷館に漂っていた修猷魂しかり
西郷さんや頭山満中村天風弘法大師空海の本を読むたびに
「武士道」や「世のため人のため」「宇宙の分け御霊」
といった魂を、僕の情感は受け止めようとする。


一方で

「楽して儲けよう」「メンドクサイことして働きたくない」
「今が楽しければハッピー」
「金さえあれば、結果さえ出せば、社会的に認知されていれば、昔の固定概念にとらわれない自由な発想ならば、SNSで汚い言葉を使って罵り合っても構わない」

なんて考え方は、僕の情感は一切受け付けない。

それは僕固有のものだから、他の誰がどうかとか関係ない。

先人が大切にしてきた魂を僕の情感が受け止め
燃やすからこと、宇宙で一つだけの固有なこころとなり価値が出るのだと思う。

地魚BANKで実現したい根源的な想いは
何も目新しいことではない。

糸島の漁師が長年大切にしてきた魂そのものだからだ。

だけどその魂を僕や会員様の情感が受け止め、
みんなが燃焼させることが出来た瞬間に
後世にも残るような素晴らしい価値が生まれるのだと思う。

誰しもが受け入れてくれるとは思っていません。

だけど少しでも皆さんの情感が受け止めてくれるのなら
力を貸して頂けると、こんなに嬉しいことはございません。

 https://readyfor.jp/projects/zizakana-bank

第1回地魚博覧会

お陰様で無事に終了致しました。

ご参加いただいた皆様本当に有難うございました。

行き届か無いところもたくさんあったかと思いますが
地魚を通して皆様とお会いでき同じ時間を過ごせたことを

スタッフ一同大変嬉しく思います。

ただ我々としましては

「ようやく博覧会が終わった」

というよりは

「博覧会からいよいよ始まった」

というのが実感でございます。

今回の博覧会では

地元の漁師、漁協職員、県、加工業者、飲食業者
たくさんの地魚に携わる仲間がお忙しい中、
二つ返事でご参加下さいました。

「地魚トーーク」では登壇者の皆様、
ぶっつけ本番でドキドキさせてしまいました…

ただいつも私が皆さんと話している内容をそのまま
お伝えできればそれだけで価値があると思い、
実際に参加者の皆さん大絶賛の内容でした。

満員御礼、連日大繁盛の牡蠣小屋を抜け出し

「車じゃ間に合わんと思ったけん」

とバイクで駆け付けた結果
お酒が飲めなかった一豊さん。
地元漁師のリアルなお話は
それだけで参加費分の価値があるように思いました。

「このTシャツで良かったかいな?」

糸島の宝、地魚エンターテイナーの鹿毛さんは
いつも私達を笑わせて和ませて下さいます。

そして
お姿が見えなくなったと思ったら
いつの間にか裏方で料理の盛り付けまで
お手伝い下さっていた馬場社長…

いつも格好良すぎます、、

皆様にはこの場を借りて御礼申し上げます。

「皆さんと仕事がご一緒出来る自分でありたい」

というのが私の一番のモチベーションです。

心から尊敬できる最高の仲間がいることに
改めて気づかされました。


博覧会の内容については
改善すべき点もございますが
間違いなく昨晩

「日本で一番地魚で熱い場所」

は糸島前原の古材の森でした。

「次はいつ、どこでやるんですか?」
「参加費はもっと高くて良い!」
「漁師さんの話が聞けるなんて貴重な経験でした」
「糸島に移住して良かったです」
「地魚BANKようやく仕組みが分かった」
「会員集めるなら集めるで先に言っといてよ」
「振込先を教えて下さい!」

いよいよ地魚BANKが公に動き始めます。

3月中に会員募集の仕組みをHPの作成と合わせてお知らせします。

4月中にクラウドファンディングを開始します。

並行して新しい地魚サービスも生み出して参ります。

最後に。
もう少しだけお付き合いください。

博覧会実行委員会のお二人へ。

「ずっと身内に声をかけるのは後回しにしていたのですが、
博覧会が始まる前に両親を招いても良いですか?」

今回の博覧会のメインは地魚イラストレーター江崎さんの初個展。

ご自分の初個展なのに最後の最後まで公に徹して下さいました。

江崎さんの絵には魂が宿っています。

「漁師さんに見られても恥ずかしくない絵を書きたい」

これからも引き続き宜しくお願いします。

そして。
古材の森ディレクターの有田さん。

今回の博覧会を思いついたのは昨年末。

年末年始を挟んでいたので
実質一ヶ月半くらいで企画を練り上げ準備しました。

お互い本業の合間を縫いながら
むしろこれが本業といわんばかりに
毎日連絡を取り合い打合せを重ねて参りました。

少しだけ少しだけ私が不安になって
有田さんに弱音をはいたとき

「馬淵さん、大丈夫ですよ。僕がいますから」

と言って下さったときは痺れました。
自分もかくありたい。

博覧会の閉会の言葉で
有田さんがお話下さった内容が
すべてを表して下さっています。

「ヨットがマストの帆を広げて前に進むためには、海面下にもそれに耐えるだけのキールの強さがいります。地魚への想いが力強く未来へと向かうためには、その根にある地魚の歴史・伝統から学ぶ必要があると思います」

第2回地魚博覧会、必ずやります。

 

空海は生きている!④地魚BANK骨子

弊社は私馬淵崇の学生時代からの恩師である

九州大学農学部佐藤剛史先生が

糸島の一次産業とりわけ水産業の活性化を

目的として創業した会社です。

 

2011年の創業以来7年間、

糸島の地魚と向き合う日々の中で培われた想い
 

「地域で100年後も喜ばれる商売」

 

を社是とし、私が事業を引き継がせて頂いてから

現在は糸島市内に飲食店を2店舗経営しております。

 

一つは糸島漁協が経営する直売所「JF糸島志摩の四季」内で地魚専門の海鮮丼屋、

もう一つは糸島の主要駅である筑前前原駅前で地魚料理を提供するスペインのバルスタイルの店です。

 

糸島沖で獲れた新鮮な地魚を扱わせて頂く両店は
お陰様でたくさんの常連様に支えて頂いておりますが

時化等で地魚の入荷が無い場合は臨時休業することもあり、

お客様にご迷惑をおかけすることも多々ございます。

 

それでも創業以来7年間、
私達は以下の二つのことを徹底してやって参りました。

 

・糸島産のものしか使わないこと。

・絶対に値下げ交渉をしないこと。


仕入が不安定な上に、仕入れ値は安くしない、

しかしお客様には気軽に楽しんで頂く。
 

そのような中にあって、弊社の今日があるのは、
漁師を中心とした漁業者からの信用のお陰様です。


具体的には、どの漁師が、どんな魚を、どんな漁法で獲り、どのように処理したかといった、市場から流通した魚では見えづらい情報を事細かに知ることが出来ます。


最近では漁師さんの方から「こん魚は間違いなかばい」と教えて下さるので
目利きがあまり必要ありません笑

 

素晴らしい地魚は、素晴らしい物語とともにあることを知って頂きたいです。

 

 一方で、地域の課題として、福岡県唯一のいりこ漁や小型底引き漁等の

零細な漁業が衰退傾向にございます。

吾智網、一本釣り、海士、いずれどの漁も同じような状況になるやもしれません。

 

資源の枯渇、漁業者の高齢化、後継者不足、漁価の低迷は深刻でありますが
「旨い魚をこれからもずっと」食べられる社会を作るためには、
従来とは異なる新しい価値形成方法が求められております。

 

 そこで、弊社が持つ漁業者とのネットワークを活かし、地魚の価値を伝えるツールとして、またその価値に魅力を感じた顧客を管理するために「地魚BANK」というシステムを構築します。


「地魚BANK」では、まず、その漁、その魚が持つ魅力(鮮度、食べ方、旬、漁の難しさ)を、HP・SNS・地魚試食会等で情報発信し、会員を募ります。


価値を感じて会費を払い会員となった方に、会員券を発行します。その会員券で集めた資金を元に、その漁で獲れた魚を味わって頂くことはもちろん、その漁を支援するための活動(イベント開催、加工品開発、マンパワーの提供等)を行います。

 

弊社は既に天然ハマグリで有名な産地を歩く「ブラ加布里」や、
シーズン後に余った牡蠣を使った「牡蠣小屋オイスターソース」の開発(試験段階)、小型底引き網漁を支援するため「二丈ジエビ食堂」として「エビちまき」や「かき揚げ」等の新商品を開発し、各地のイベントに出店するなどの活動をしていることから、これらのサービスを統一し、消費者に分かりやすく伝える必要性がございます。

 

近年「モノからコト」というキーワードが普及しているように、イベント体験サービスや生産、商品開発そのものに参加したいというニーズも現れ始めています。


それはクラウドファンディングに代表されるように、
消費者のお金の支払い方が大きく変わってきていることからも見てとれます。

これまでの事業で培った信用を元に、会員券を発行し、
新たな価値を提供するサービスのための原資とし、
そのサービスが実現した暁には、会員をそのままお客様として
お付き合いさせて頂くことで
従来の飲食業の枠を超えたサービスを提供します。

 
世のため人のために大欲をもって精進して参ります。

 

f:id:mab-log3:20181108111420j:plain

空海は生きている!③ 「積極心~変わり続けることを変えない~」

高野山金剛峯寺の門には豊臣家の家紋と神社の三つ巴が入った提灯が掲げられている。

空海は1,200年間洞窟で修行を続けている。

・今も食事を1日2回運んでいて、精進料理だけではなくときにはパスタやコーヒーも。

高野山にはあえて完成させていない場所がある。

・大工が途中で作るのを止めているのは、完成しないことで永遠に続くことを願ってのもの。

高野山はお寺でありながら神棚、鳥居があり、八百万の神を大切にしている。

 

これらの「高野山トリビア」は、実に示唆に富んでいるように思う。

 

研修旅行初日の夜、現役生との研修会・対話は
生徒が自主的に企画したもので大きくは2部構成。

 

第1部は「古典を読む」事前に読んだ課題図書について、班ごとに意見を交わす。

第2部は現役生からの質問にOBが応える。

 

今の修猷生は漠然とした雲に覆われているように思えた。

自治、歴史、伝統、修猷魂。

その伝統の重みを感じられることこそが、
修猷館たる所以である一方、その伝統が生徒を苦しめている。

出口の見えないゴールを探す中で不安を感じている。

「自分の意見が言いにくい」
「周りの人にどう思われるかが気になる」
「やる気の無い人達にどう伝えて良いか分からない」
修猷自治が失われつつある中で、何を残すべきなのか」
「自分達は何に向かっていけばよいのか」

SNS時代の副作用もあるだろう。
私達の時代以上の息苦しさを感じているのかもしれない。

私はこんな話をした。

大運動会、ブロックの発足当初は
自分の意見を言うと「なんあいつ調子乗っとん」
みたいなことを陰で(聞こえてたけど笑)言われていた。

自分もそういう周りの声が気にならなかった訳ではない。

だけどそれでも言い続けることができたのは、
周りではなく先輩方を見ていたからだった。

横では無く縦を見ていた。

そちらの重圧の方がはるかに苦しかった。

でもね。

迎えた大運動会応コン本番。

「おいパネル下げろ」

後輩に指示する声がする。

その声の主は僕をバカにしていた連中だった。

僕の高校時代最大のハイライトはこのシーン。

あれだけ冷めた連中にだって情熱は伝わるんだ。

それは必死に自分がやり続けたから。

いつだって変えられるのは相手では無く自分だけだ。

だから行動するんです。

とにかく言うんです。
とにかくやるんです。

社会人になれば残酷な程、差が出ます。

意見を言わなければ、行動しなければ、
どんどんおいて行かれる。

修猷館の大先輩中村天風さんが「積極心」を説かれています。

私は特別成績優秀だった訳ではないし、
未だ社会に出て素晴らしい実績を残した訳でも無い

修猷館の卒業生の中では完全にアウトローです。

今回ここに来たときも

「で、何しに来たんだ?」

ある先生から言われちゃったくらいです笑

だけどね。

来ちゃったんです笑

私が、今日、この場所で皆さんの前にこうして居るのは
先輩方から教わった「積極心」ただそれだけです。

 

 

無茶苦茶忙しかったけど、来て本当に良かったと思うし、

私の方が現役生からたくさんの力を頂きました。


高野山から急ぎ戻って参加した糸島の会議は
完全アウェー、大失敗だった。

「お前が偉そうに言うことじゃない」

ある方にお叱りを受けました。

仰る通りでした。

遅刻して参加した上に、会議の状況を知らずに混乱させてしまいました。

大反省です。生徒達に会わせる顔が無い…

でもね。


「言いたいことが言える自分になってから言うのではいけない」


と私の中の修猷魂が言ったんです。

まず、行動が先。失敗したら修正すれば良い。

生徒達に話した言葉は、そのまま今の私自身への言葉だった。

 

その行動が世のため人のためであれば

そのために変わり続けることを変えなければ

きっと空海が選んでくれる。

f:id:mab-log3:20181102115223j:plain

いつもお世話になっているカレントのモーニングが変わっていました。

 

f:id:mab-log3:20181102115219j:plain

I山先生有難うございました。わざわざお越し頂いたのに不在で申し訳ございませんでした。

空海は生きている!②「世のため人のため」

今回の高野山研修では諸先輩方のご尽力により
高野山のトップ、宗務総長の御法話を拝聴する機会を頂いた。

私は宗教に全然詳しくないので、事の大きさを理解していなかったが
政治の世界で言えば総理大臣にお会いするようなことだそうだ。

待つ間はピンと張りつめた空気。

しかしお越しなると一気に場が柔らかくなる感じがした。

「せっかく福岡からお越しなので普段聞けないような話をしましょう」


冒頭よりお話下さったのは
東北大震災で被災された方々の体験談の数々。


津波から逃げる際、カーナビとは逆の方向に行くように指示する声が聞こえた」


抗えない程強いその指示の通りに逃げた結果、何とか助かった。

カーナビの通りに行っていたら間違いなく津波に飲み込まれていた。

しかしあの声の主は誰だったのか。

家族に話すと「曾ばちゃんが90年前に津波で亡くなった」ことを知らされた。

間違いなく、曾ばあちゃんの声だろうと。


このような体験話が山ほどある。

それも日本だけではなく、世界各国で起きていると。


身体は朽ちても、魂は共にある。

我々と一緒に今を生きている。

このような話をすると、お叱りを受けるそうだ。


「その魂を成仏させて極楽浄土にお連れするのが寺の仕事だろう」


一方で古くより、日本の阿弥陀如来は山を越え出づるように描かれてきた。

それは念ずれば、阿弥陀如来も降りてきて下さり、
「共にある」という教えを後世に伝えたかったのではないか。


決して成仏していない訳ではない。

魂はどこか遠くにあるのではなく、一緒の空間を遍満している。

千の風に。
「私のお墓の前で泣かないで下さい。そこに私はいません」

ではなくてこう考えてみたらどうだろうか。

「あなたがお墓の前で祈るであれば、私はそこに参りましょう」

最後に話されたのはある男性のお遍路さんに起きた奇跡。

自分の娘の目が見えなくなってしまった。

決して信仰がある訳ではないけど、お遍路に出た。

途中、ある札所近く、畑の下から声をかけられる。


「お遍路さん、この娘の目をさすって下さい」


聞けば自分の娘と同じように、目が見えないそうだ。


その娘のお婆さんが
「同行二人」空海と共に歩くお遍路さんにあやかり
孫娘の目を治してもらおうとしたのだ。


「自分でいいのであろうか…」

戸惑いながらも
自分の娘を重ね合わせて、その娘が無性に愛おしくなり、一心に願った。


治るように、必死に願った。


そのときその一瞬、
男性は弘法大師空海その人であった。


その後その娘の目が治ったかどうかは分からない。


お遍路から家に戻ると「お父さん!」と走ってくる娘の姿に驚いた。


娘の目が治っていた。


この家族は弘法大師に選ばれた。

では何故選ばれたのか。


結局は自分だけではなく、誰かのために尽くした人が選ばれるのであろう。


総長はそのように話を結ばれた。


「御国のために世のために尽くす館友いくそばく」


とは修猷館の館歌にある一節。


決して宗教の中だけの話ではない。

魂が繋がっていることを感じた。

 

(つづく)

空海は生きている!① 「弘法も筆のあやまり編」

高野山研修から途中離脱して糸島へ。

 

「せっかくの機会なんだから奥の院も回って行きなさい」

「多分ケーブルカー故障するよ。それは弘法大師のお導きだから戻っておいで笑」


先生、先輩方の強力な引力に
後ろ髪引かれまくりながら帰路に。


ケーブルカーまではタクシーで移動。
運転手さんとの話がやけに盛り上がる。


「気をつけて帰ってなぁ」


と運転手さん。

旅の余韻に浸りながらトイレに行こうと
ポケットの中に手をやると…

???

あれ?

携帯が無い!


落ち着け、未だ時間はあるぞ。

おそらくお土産屋さんで
スーツケース広げたときか、
タクシーの中だ。

どちらもレシートあるから
電話番号は分かる。
けど…

かける電話が無いんや!


駅の案内所で事情を話して電話してもらうと
お土産屋さんには無し。

タクシー会社には繋がったけど
乗っていたタクシーに無線が繋がらない…


携帯を落としたなんて人生で初めて。

どんなに酔っぱらってもタクシーを降りる前には
忘れ物が無いかは確認するのに。

まさに「弘法も筆のあやまり」…
いえいえ最近凡ミスが多いんです。

時間は容赦なく進み
出発まであと3分。
これを逃すと次は1時間後。


打合せに間に合わないことが確定する。


すると駅の案内の方が走って来て


「タクシーの中にあったそうです!あと5分くらいで着くそうです!」

「有難うございます。5分だと間に合わないですね…」

「でもあの運転手さん飛ばすらしいですよ!」


た、確かに運転は荒かったような。。

でも急いで事故でもあったら大変。

しかし迫る発車時刻。


プルルルル…

発車のベルが構内に流れ始め
諦めかけたそのとき!


ついにタクシーが!

来ない!

でもケーブルカーも発車しない!


何と私を待ってくれてる!

時間を過ぎても、完全に待ってくれてる!


案内所の方が連絡してくれた模様。

しかしやはり来ない。

このままではダイヤに迷惑をかけてしまう。


「あと10秒で来なければ諦めます」


10,9,8…

3,2,1

ゼロ!


やっぱり来ない!


人生そんなにうまいこと行きません。

丁重に御礼を言い発車を見送る。


ほどなくしてタクシーが到着。

「すまんすまんトイレ行っとって無線気付かなかったわ」

「いえいえご迷惑をかけてすいませんでした…」


しかしある意味で「ケーブルカーに乗れない」という
先輩の予言通りの展開になった。

携帯を失くした驚きよりも、そちらの衝撃の方が大きかった。

興奮して先輩に連絡すると


奥の院にお越し下さい。

弘法大師が呼んでいます。


本気で戻ろうかと非常に迷ったけど
会議に少しでも参加できる可能性があるのならば
先を急ごう。


「世のため人のために生きなさい」


とは高野山の教え。

私は地域の人のために生きる。

いやいやそもそもは自分のミスからなんですけど…


予定より2本遅れのケーブルカーは
秋の行楽シーズンで海外からのお客様も多く
すぐに満員となった。


私はダントツ一番乗りだったけど
窮屈そうな方に席を譲った。


世のため人のため。


自分がダメダメなときって逆に人のために何かしたくなります。


南海で乗り継ぎを待っていると人身事故で遅れが発生しているとのこと。


フランス人の観光客が戸惑っている。
カタコトの英語で話しかけ、アクシデントが発生していることと、
あなたの目的地までは次の電車を待つこと、私も同じ方向であることを伝えたら
落ち着いた様子。


そのとき私は私で糸島の仲間から
今日の会議は「30分遅れで開催します」との連絡が入った。


それでも間に合わないのは間違いないことで
申し訳ない状況は続くのだけど、少し可能性が見えてきた。


難波から御堂筋線ダッシュで乗り換え

新大阪で博多行きの新幹線を待っていると…


???


矢野!?


地魚BANK事業で相談しようと思って中々会えなかった仲間!

まさかここで会うなんて!

実は私、旅先で本当に良く友人に会います。

指宿菜の花マラソンの手荷物受渡し所、埼玉スタジアム
ハワイのDutyFree…枚挙にいとまがありません。

だから今回も少し期待していてキョロキョロしてたのだけど、
まさか同じ車両に乗るとは!

あのとき携帯を落としてなかったら、絶対に会っていない。

これもすべて弘法大師空海様のお導きなのでしょうか。

とにかく新幹線内で臨時会議(笑)

お陰様で貴重な時間を過ごすことができた。

博多駅に到着。

すぐに具体的な話として進んでいくことを約束し、
彼はオフィスへ。

私はダッシュで糸島行きの昭和バスに乗り込み、
(この車内でもバルのお客様に会うのですが…)
自宅についてから娘たち会うことなく、そのまま車で糸島のある地域へ。

(つづく)